岐阜市は家庭から出るごみの量を減らすため、2027年4月までにごみの収集と処理を有料にする方針を明らかにしました。
具体的な有料化の方法として、1枚22円から50円の有料指定ごみ袋を導入する案が示され、1世帯あたりの負担額(試算額)は年間3,400円程度になります。
この岐阜市のごみ処理有料化制度導入に伴い、主に自治会加入者と未加入者の間で議論が起こっています。
この記事では、岐阜市のごみ処理有料化制度導入に伴う有料指定ごみ袋配布問題から「自治」について考えます。
②自治会未加入で自治会管理のゴミステーションを利用している人
③ゴミ収集は本来戸別収集であるべきだと考える人
②今なぜ「自治」が重要なのか?
退職を契機に「自治」に関心を持った筆者が、岐阜市の有料指定ごみ袋配布問題から考える「自治」について解説します。
<筆者略歴>
1984年 東京大学工学部建築学科卒業後、ゼネコンに入社
1988年 インフラ企業に転職
2018年 子会社の不動産会社に転籍
2023年 退職
目次
岐阜市の有料指定ごみ袋配布問題とは?
岐阜市のごみ処理有料化制度に対して、市民からはさまざまな意見が寄せられています。
特に問題視されているのは、自治会員に対して有料指定ごみ袋を無料配布する案です。
自治会員からは、「最近は自治会加入率が減少しているので、これを契機に自治会加入世帯を増やしたい」という歓迎の声があがる一方で、「自治会に加入していない人への公平性が欠けるのではないか」という不満の声が自治会未加入者を中心に上がっています(2024年3月現在)。
「自治」が日本から失われつつある現在、問題を自治会加入者と未加入者の対立といったかたちに矮小化することなく議論する必要があります。
今なぜ「自治」が重要なのか?
①「自治」が失われつつある理由とは?
日本では明治時代に欧米諸国の資本主義経済が導入され、今ではグローバル資本主義経済※1の時代です。
※1 グローバル資本主義経済は、資本主義の原則(自由市場、競争、私有財産など)が世界的な規模で適用される経済体系です。このシステムでは、国境を越えて資本、労働、製品、サービスが自由に移動し、国際的な貿易と投資が活発に行われます。
グローバル資本主義経済の時代は、お金さえあれば家に居ながらにして、世界中の商品を手に入れることができます。
要するに、あらゆるモノを商品化する資本主義経済の時代においては、お金さえあればヒトは一人で生きていけるようになったのです。
今や資本主義に完全に「包摂」されてしまった現代人が生きていくのに必要なものは、相互扶助(助け合い)ではなく、商品と交換できる貨幣です。
「自治」が失われつつある理由が、ここにあります。
災害が起こると急に「自治」が必要に
災害で特定の地域の資本主義経済が破綻して、お金と商品の経済システムが機能しなくなると、急に「自治」の出番がやってきます。
②「自治」が失われた社会とは?
貨幣と商品によって現代人は自立できましたが、また同時に孤立しました。
便利さが、相互扶助(助け合い)を捨てさせ、ヒトを孤立と自己責任に追い込むのです。
自治会未加入者とは、まさにこの犠牲者です。
内田樹著『コモンの再生』から言葉を借りれば、「市民の原子化・砂粒化」です。
「原子化・砂粒化」してバラバラになってしまった個人には、結束して権力に反抗する力はもはやありません。
こういった状況は同時に、個人が支配されやすくなった、すなわち住民は行政から管理されやすくなったことを意味します。
自治会など「地縁」の代替品が「社縁」ですが...
「社縁(しゃえん)」とは、「会社や職場での縁」を指します。
例えば、同じ職場で働く同僚や上司、部下とのつながりや関係が社縁です。
また、仕事上の取引で知り合った他社の人とのつながりや関係も「社縁」に含めていいでしょう。
そして、「社縁」の最大の特徴は、ある年齢が来たら(自分の意志に関係なく)自動的に縁が切れてしまうことです。
これが「地縁」と「社縁」の決定的な違いです。
③自治会未加入者こそ「自治」の力でごみ戸別収集を勝ち取るべき
有料指定ごみ袋の自治会員への無料配布に反対する人の中には、ごみの戸別収集を主張する人もいます。
自治会に加入せず自己責任で生きていくことを決めた人なら当然の主張※2です。
※2 自治会員がお金や場所や人手を出して管理しているゴミステーションを自治会未加入者が利用するのは、心情的に納得できない自治会員が多いのも当然でしょう。仮に裁判で争った場合、自治会のゴミステーションに捨てる以外に方法が無いかどうかが争点になると思います。
戸別収集は一部の自治体で既に導入されて、ごみの量も減っており、確かに有効な方法かもしれません。
また、完全な戸別収集ではありませんが、岐阜市でも2世帯がまとまればゴミステーションを申請できるという未確認情報もあります。
この問題を自治会加入者と未加入者の間の差別の問題に矮小化するのではなく、自治会に頼らず生きていくことを決めた自治会未加入者が結束して行政からごみの戸別収集を勝ち取れば根本的な解決に繋がります。
そしてそれには、やはり自治会未加入者であっても「自治」※2 の力が必要です。
※3 実際は、自治会に加入して自治会の行政への影響力を利用して、ごみの戸別収集を勝ち取るのが現実的です。
まとめ
斎藤幸平他編『コモンの「自治」論』を読むと、日本の失われつつある「自治」の問題の大きさがよくわかります。
「自治」から逃げ回っていれば一見楽かもしれません。
「自治」のルールは民主制であり、民主制とは本当にめんどくさいもの※3だからです。
※4 例えば、自治会長を決める会議では、それぞれが勝手なことを言ってなかなか決まりません。学校でも会社でもトップダウン方式に慣れている日本人にとって民主制はめんどくさいシステムなのです。そもそも日本人は、国民の手で民主制を勝ち取った経験がありません。
しかし、それを避け続けた結果、日本国民は国※5から完全に支配される存在になり果てました。
※5 正確に言えば長年にわたる自民党一党支配と政官財癒着による現体制に支配されています。オールドメディアも現体制に支配されてジャーナリズム精神は消え失せ、国民を情報操作する側に立っています。
このように、岐阜市の有料指定ごみ袋配布問題は、日本の根が深い問題とつながっています。