メンバーシップ型とは、新卒一括採用・終身雇用・年功序列を3本柱とする日本固有の雇用形態です。
この雇用形態は、労働力の長期安定的な確保が重要な経営課題であった高度経済成長期(1955年頃から1973年のオイルショックまで)に広がりました。
それから半世紀以上が経過しても、基本的には依然としてメンバーシップ型が継続しており、慢性的な人員余剰による非効率なワークシェアリング型雇用の状態となっています。
参考:なぜ日本の労働生産性はG7最低なのか?メンバーシップ型VSジョブ型
メンバーシップ型が止められない理由は、いろんな要因が考えられますが、第一に経営者のレベルの低さ、第二に従業員の過度な安心・安定志向が挙げられます。
参考:メンバーシップ型雇用を変えたくない社員と社長それぞれの事情とは?
しかし、大した経済成長を望めない今後もメンバーシップ型を続けるなら、これまでの給与体系(賃金カーブ)を抜本的に変えて、それに応じた働き方にするしか方法はありません。
参考:経済成長率の推移で分かるメンバーシップ型破綻の当然すぎる理由とは?
この記事を読めば、メンバーシップ型を続ける日本企業で安心と安定を得るには、今後どのような働き方が主流になるのか分かります。
②メンバーシップ型が続くなら「静かな退職」が普通の働き方になる理由とは?
<自己紹介>
筆者本人(1960年生)
40代後半から「静かな退職」を選択して体づくりに励む
筋トレ歴17年 ボクシング歴12年
<筆者略歴>
1984年 東京大学工学部建築学科卒業後、ゼネコンに入社
1988年 インフラ企業に転職
2018年 子会社の不動産会社に転籍
2923年 退職
目次
もはやメンバーシップ型の賃金カーブが維持されていない現状とは?
本来の目的が社員を定年まで囲い込むことであったパートナーシップ型では、定年まで勤め上げて退職金をもらって元が取れる賃金カーブが設定されています(下のグラフ参照)。
引用:賃金を切り口とした年功序列型人事制度の検証 | 産業能率大学 総合研究所
しかし、1986年の高年齢者雇用安定法の改正(定年を55歳から60歳に延長することが義務化)を契機に、人件費の増加を抑える目的で役職定年制が広く導入され始めました。
役職定年制とは、ある一定の年齢が来たら役職と部下をはく奪され給与も下がる「戦力外通告」です。
さらには、成果主義※1 による賃金改定制の導入や希望退職制度による「肩たたき(リストラ)」も増えつつあります。
※1 成果主義を盾に取って、40代の役職をはく奪して給与を下げる可能性もあります。成果主義導入は、実質的に役職定年対象者の拡大施策と言っていいでしょう。なぜなら、裁量権がなく、責任範囲が曖昧なワークシェアリングであるメンバーシップ型の業務では、成果主義を適切に運用することができないからです。
こういった状況は、仮にメンバーシップ型を続けるなら、40歳以降の賃金レベルを貢献度見合いに近づけていかざるを得ないことを物語っています(下のグラフの新賃金カーブ=旧賃金カーブの崩壊曲線)。
引用:賃金を切り口とした年功序列型人事制度の検証 | 産業能率大学 総合研究所に筆者が加筆
70歳雇用延長義務化も過去の法改正の流れから推測すると、2030年代半ば頃に義務化される可能性があり、そのための財源も生み出す必要があります。
高度経済成長期のような経済成長が見込めない以上、メンバーシップ型の給与体系(賃金カーブ)を維持することも同様に不可能でしょう。
メンバーシップ型が続くなら「静かな退職」が普通の働き方になる理由とは?
「静かな退職」とは以下の3つの特徴を持つ働き方です。
「静かな退職」は、定年退職が間近な社員のように、精神的に余裕を持った働き方を指し、昭和のモーレツ社員※2とは対照的なスタイルを意味します。
※2 「モーレツ社員」は、昭和時代に使われた言葉で、猛烈に仕事に打ち込むサラリーマンを指します。これは、家庭や私生活を犠牲にして会社に人生を捧げる姿勢を形容した言葉です。高度経済成長期の日本では、なりふり構わず会社のために尽力する社員の姿を表現した言葉として使われました。
昇格(出世)を目指さない「静かな退職」者の賃金カーブのイメージは下のグラフになります。
前で述べたように、年功序列型の賃金(上記グラフ「従来の賃金カーブ」)を定年まで続けることはもはや不可能なため、役職定年や賃金カットを正当化する成果主義の導入、さらには高給与者を対象としたリストラを通じて、賃金カーブは上記グラフのグレーの曲線(従来の賃金カーブの崩壊曲線)へと移行しつつあります。
こういった状況の中、従来より人件費負担が軽くなる「静かな退職」者なら、希望退職制度による「肩たたき(リストラ)」の対象者から外れて定年まで生き残れます。※3
※3 従来通りの賃金カーブでは、現在の銀行員のように転職しなければ定年まで働けない時代が来る可能性もあります。
そして、評価されるかどうかわからない無駄な「がんばり」とは決別し、滅私奉公から解放されて、自分や家族を大切にできるワークライフバランスが得られます。
また、会社にとっても、人件費の負担が軽減される「静かな退職」は、むしろ好都合な働き方と言えるため、問題視する必要はないでしょう。
まとめ
✔もはやメンバーシップ型の賃金カーブが維持されていない現状とは?
・人件費の増加を抑えるため役職定年制が広く実施されており、賃金カットを正当化する成果主義の導入や希望退職制度を利用した「肩たたき(リストラ)」も増加
・今後、ますます旧賃金カーブから新賃金カーブ(旧賃金カーブの崩壊曲線)への移行が進む
引用:賃金を切り口とした年功序列型人事制度の検証 | 産業能率大学 総合研究所に筆者が加筆
✔メンバーシップ型が続くなら「静かな退職」が普通の働き方になる理由とは?
・従来より人件費負担が軽くなる「静かな退職」者は、希望退職制度による「肩たたき(リストラ)」の対象者から外れて定年まで生き残れる
・また、会社にとっても、人件費の負担が軽減される「静かな退職」は、むしろ好都合な働き方と言えるため、問題視する必要はない
徳川家は戦国大名を「静かな退職」大名に変えた?
徳川家は、関ヶ原の合戦で徳川方として活躍した、福島正則の福島家(1619年に改易)、最上義光の最上家(1622年に改易)、加藤清正の加藤家(1632年に改易)、加藤嘉明の加藤家(1643年に改易)を次々と取り潰しました。
この目的は、戦国時代における成長志向と成長体質を否定し、縮小均衡政策への転換を図るための実例教育でした。
すなわち、福島家、加藤家、最上家のような忠実な大名家を取り潰すことで、その理由が彼らの成長志向にあると他の大名たちが認識することを狙った※4 のです。
※4 関ヶ原の合戦で敵対した大名家を取り潰したとしても、それはその時の怨みや将来への危惧によるものとしか解釈されなかったでしょう。
このようにして、徳川家は戦国大名を「静かな退職」大名に変えていったのです。
天下統一後も、戦国大名の成長体質と成長気質を変えられず、朝鮮出兵の愚策に走った豊臣秀吉とは対照的です。
参考:堺屋太一著『組織の盛衰』