「定年退職したら、なんとも言えない不安感と孤独感で苦しい😩」
「人生100年時代、まだ老後は20年以上もあるのに、これからどう過ごせばいいんだ?」
「毎日が地獄だ」
こんなお悩み解決します。
②大企業を定年退職し、社会との断絶感を感じている方
②断絶感に打ち勝ち、生き生きとした定年後の人生を送る方法
40年間のサラリーマン人生を終え今年(2023年)退職した筆者が、定年後の孤独や社会断絶感無く前向きに定年後の人生を楽しむ方法について解説します。
<自己紹介>
筆者本人(1960年生 2023.11撮影)
筋トレ歴16年 ボクシング歴10年
<その他趣味歴>
ロックバランシング
スポーツクラブ
卓球 など
<筆者略歴>
1984年 東京大学工学部建築学科卒業後、ゼネコンに入社
1988年 インフラ企業に転職
2018年 子会社の不動産会社に転籍
2023年 退職
目次
定年後の社会断絶感とは?
定年後、以下のことに改めて気づきます。
①会社以外行くところが無い
②会社に行くしかやる事が無い
そして、次のように感じます。
①誰にも認められない
②誰にも必要とされない
結局、肩書を失ってしまうと何者でもなくなってしまい、家庭内でも外の世界でも居場所が見いだせず、被害者的になり何でも他人のせいにするような歪んだ精神状態になります。
これが定年後の社会断絶感です。
社会断絶感を感じる理由
定年退職後、社会断絶感を感じるのは現役時代の自己家畜化が原因です。
自己家畜化とは、飼い主から餌をもらって楽に生きることと引き換えに、飼い主の従順な奴隷になることです。
要するに、会社員の自己家畜化とは、安定雇用(終身雇用、年功序列)と引き換えに、自分を捨てて会社組織に従順に従うことです。
言ってみれば定年退職者とは、飼い主から見捨てられて畜舎から追い出された、か弱い家畜です。
ところで、現役時代は本当に社会と繋がっていたのでしょうか?
大企業などで管理業務や中間搾取的業務を行っている特にホワイトカラーの方は、社会とは本当の意味で繋がっていません。
会社組織に繋がっていただけで、社会と繋がっていたという漠然とした思いは幻想です。
もともと社会とは断絶しており、定年後にそれが顕在化しただけのことです。
現役時代に組織からしか評価されていない人は、もともと社会とは繋がっていません。
一方、現役時代に市場から個人が評価される人生を歩んできた人は、定年後もまた別の繋がりを容易に見つけることができるので、社会断絶感は無く孤独にはなりません。
現役時代に社会とつながっていたと言えるのは、エッセンシャルワーカー*1のように、直接顧客とつながりを持つ仕事をしていた人たちです。
社会との断絶感無く定年後の人生を楽しむには?
①断絶感を招く人間の欲求とは?
「マズロー*2の欲求5段階説」を使って解説します。
「マズローの欲求5段階説」とは、人間の欲求を5つの階層に分けた理論です。
下から「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求(所属と愛の欲求)」「承認の欲求」「自己実現の欲求」と定義されています。
低階層の欲求が満たされると、より高次の欲求を満たそうとする、人間の煩悩をよく表しています。
引用記事:マズローの欲求5段階説とは? | やさびと心理学 (yasabito.com)
社会との断絶感は、「社会的欲求(所属と愛の欲求)」が満たされていない状況です。
社会的欲求とは、「集団の一員でありたい」「社会から必要とされたい」という欲求です。
欲求の満たされない状態が続くと、強い不安や孤独を感じることになります。
②「社会的欲求」を満たすには?
現役時代とは全く違う一般世間の中で社会的欲求を満たすためのキーワードは、「ヨコの関係」です。
「ヨコの関係」とは、言い方を変えれば「肩書」無き関係です。
タテの関係よりヨコの関係の方が難易度は高いと言えます。
タテの社会は、名刺一枚で上下関係が決まるので難しくありません。
ヨコの関係を築く決め手は、個人の人間的魅力です。
関係を持ちたいかどうかは、現役時代のような利害関係ではなく、その人に惹かれるかどうかです。
「肩書」は個人の人間性とか魅力ではなく、その肩書を与えた権力者個人の情意評価(恣意的な好き嫌い)の結果です。
現役時代部下が慕ったのは「肩書」に慕っただけで、その人間性ではありません。
そんな「肩書」はフィクションであり、世間で通用する訳がありません。
自分の人間としての本当の実力とは関係なく、たまたま出世した大企業の役員などは、定年後その勘違いから抜け出すことはできず、いつまでもくだらないプライドの犠牲になることでしょう。
定年後、「社会的欲求」を満たすためには、「肩書」の呪縛から逃れ、無意味なプライドは捨てることが最低条件です。
謙虚な一市井人として第二の人生を歩んでください。
だれも何とも思わない過去の栄光にすがり社会断絶感と孤独に苦しむか、過去を全て捨て謙虚に自分を磨いて居場所をつくるか、二者択一です。
まとめ
定年後の社会断絶感は、大企業で出世競争に没頭して出世した人ほど深刻です。
大企業は共同体であり、世間一般からはかけ離れた常識が支配しています。
その常識に支配されて、権力者への忖度と忠誠心で自己家畜化が進み、世間一般の常識から遠ざかります。
出世のために自己家畜化すればするほど世間から遠ざかり、定年後に感じる社会との断絶感はそうとうなものです。
現役時代に忖度と忠誠心で権力者から認められ出世した人ほど、定年後は不幸になるということです。
世の中、いいとこどりは許されないと言うことです。
死を目前にした人が挙げる後悔
人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに携わり、たくさんの人を看取ったオーストラリアのブロニー・ウエアさんは、死を間近に控えた人々が口にした後悔の中で多かった5つの事例を挙げています。
1.他人が自分に期待する人生ではなく、自分自身に正直な人生を生きる勇気があればよかった
2.あれほど働かなければよかった
3.自分の気持ちを率直に表現するだけの勇気があればよかった
4.もっと友達づきあいをしておくべきだった
5.もっと幸せな人生を送ればよかった
引用文献:ブロニー・ウエア著「死ぬ瞬間の5つの後悔」
日本人より自己家畜化されていないオーストラリア人ですらこうですから、権力や組織に従順な日本人の後悔は「阿鼻叫喚(あびきょうかん)」と言ったところでしょうか。