ながら江雪の人生ノート

現役サラリーマンと定年シニアのお悩み解決

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過去の肩書が定年後の人生を不幸にします|プライドの捨て方

「社会人になってからは、名刺交換から始まる付合いしか経験が無い」

「名刺なしで人と付き合うなんてどうなるんだろう?」

「名刺の無い定年後は、孤独になりそうだ😞」

こんなお悩み解決します。

■この記事を読んで頂きたい人■
10年以内に定年を迎えるサラリーマンの方
 
 
■この記事でわかること■
①過去の肩書(プライド)が捨てられない不幸な人達の事例

②「肩書」の本質とは?

③過去の肩書の捨て方

 

40年間のサラリーマン人生を終えて今年(2023年)退職した筆者が、過去の肩書(プライド)が定年後の人生を不幸にする理由と過去の肩書(プライド)の捨て方について解説します。

<自己紹介>

筆者本人(1960年生 2023.11撮影)
筋トレ歴16年 ボクシング歴10年

<筆者略歴>
1984年 東京大学工学部建築学科卒業後、ゼネコンに入社
1988年 インフラ企業に転職
2018年 子会社の不動産会社に転籍
2023年 退職

 

      

 目次

プライドを捨てきれない人達の末路~6つの事例

①ルールに厳格過ぎる元管理職

ごみ出しの日にごみ置き場に入って、きちんと分別しているかごみ袋を開けてチェックする定年シニアがマンションには一定数存在します。

現役時代に過剰なコンプライアンスを推進していた大企業の完璧主義者です。

分別できていないごみ袋は、廃棄した郵便物などで誰か確認できれば玄関先まで持っていくこともあります。

②上から目線で仕切りたがる元管理職

シルバー人材センターなどで、過去の肩書を誇らしげに語った揚げ句、仲間たちに仕事の指示を始める定年シニアは間違いなく嫌われます。

また、自治会やマンションの理事会で、学歴や現役時代の勤め先をやたらに聞いて回り、自分が上となると露骨に上から目線で仕切りたがる困った定年シニアも結構います。

③用も無いのに元部下に会いに行く元部長

自分がいなくなったあとの職場が心配ということで、元部下に会いに行き、よそよそしそうに5分ほど立ち話をしただけで追い返されたみじめな元部長もいました。

④OB会の受付で現役時代のように名乗る元副社長

偉そうに「斎藤だ(仮称)」と名乗って、受付嬢が「どちらの斎藤さんですか?」と聞いても「斎藤だ」と言って威張っている元副社長がいました。

受付嬢も現役の役員の顔と名前は前もって覚えていますが、過去の役員はノーマークです。

もう「ただの人」なのに、かつての肩書をまるでその人の自然属性であるかのように勘違いしているかわいそうな老人です。

⑤超豪華有料老人ホームで引きこもる元役員夫婦

まるでリゾートホテルのような超豪華な有料老人ホームに入居しているある元役員夫婦は、中庭の見えるラウンジで昼食を終えるとそそくさと自室に引きこもってしまう生活です。

各種娯楽施設も揃っていますが、一切目もくれず自室に帰ります。

プライドが高い人たちは、孤独が好きなようです。

⑥豪邸で老々介護の末に共倒れした元社長夫婦

元社長(夫)の老いたみじめな姿は、他人には見せられないということで、奥さんが老々介護の果てに共倒れした悲惨な話を聞きました。

プライドが高い人たちは、自滅するようです。 

 

 

「肩書」の本質とは?

サラリーマンの肩書とは、会社という狭い「共同体」の中だけで通用する単なる関係性(観念)です。

例えて言うなら、将棋盤の中だけで通用する駒の種類と動かし方みたいなものです。

肩書は会社関係以外では、一切通用しないフィクションであり、ましてやその肩書を持つ人がもともと備え待っていた自然属性ではありません。

自然属性とは、将棋の駒の例で言えば駒の材質です。

材質と駒の種類や動かし方は全く関係ないので、段ボールの「王将」と象牙の「歩」でも将棋盤の上では、段ボールの「王将」が序列は上になってしまいます。

実際に、社長より人間性が上の平社員はいくらでもいます。(笑)

要するに、部下はあなたではなく肩書(=組織の中の関係性)に従っているのです。

ですから、肩書の無いあなたには当然だれも従いませんし、場合によっては挨拶さえしてもらえません。

そして、肩書とは、無能でも上司とたまたま相性が合ったおかげで獲得したり、有能なライバルが上司とそりが合わず偶然の玉突き人事で転がり込んできたものです。

出世した人は、たまたま運よくその地位を手に入れただけのことなのです。

出世する人は自分の運と実力を勘違いしているので、偉くなればなるほど不幸になるのです。

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肩書プライドの捨て方

①肩書以外の自己肯定感を持つ

企業と言う狭い「共同体」の中だけでしか通用しない期間・場所限定の「肩書」ではなく、定年後の世間一般でも通用するような「コト」で自己肯定感を高めましょう。

特に大企業にお勤めの方は、一生懸命会社につくしてもそれに見合った評価が得られるかどうかは分かりません(まず得られません)。

仕事はそこそこにして、趣味や運動習慣など定年後にもつながるような「コト」に時間とお金を投資すべきです。

筆者は47歳から筋トレなどスポーツを中心に趣味の世界を広げてきました。

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②現役時代からヨコの人間関係に身を置く

趣味やスポーツを通じて世間一般のヨコの人間関係に、現役時代から身を置くことをおすすめします。

肩書の付合い、すなわちタテの人間関係は、ある意味easyです。

名刺一枚を見せ合うだけで、瞬時に上下関係が決まり、その序列に従って行動をとればいいだけのことです。

ところがヨコの人間関係は、一から手探りでつくることになりますが、決して上下の関係をつくろうとしてはいけません。

その瞬間に嫌われます。

薄っぺらいプライドを捨てて、お互いの個性を尊重し合うことが重要です。

ただし、会社と違うので、当然、性に合わない人とは付き合う必要はありません(念のために)。

 

 

③役職定年以降を定年後に向けた準備期間と捉える

特に大企業の方は、遅くとも60歳になれば、みじめな役職定年が待っています。

「役職定年」なんてもっともらしい表現ですが、要するに「潜在的余剰人員宣告」です。

もうお役御免のお払い箱で、年下の上司に使われる身です。

老後の資金に心配が無ければ、バカバカしいので会社を辞めてしまうのも手ですが、ヨコの人間関係に自信が無い人は思い止まってください。

タテの人間関係しか知らない人は、退職後の孤独地獄が待ち受けています。

役職定年後は、肩書を捨てるためのトレーニング期間と前向きにとらえることも意味のある決断です。

ただし、老後の必要資金が確保できてしまえば65歳まで我慢して勤める必要はありません。

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まとめ

タテ社会に長く染まると、「肩書」とは期間と場所が限定された単なる関係性(フィクション)である事を忘れます。

過去の「肩書」は、自分に初めから備わった自然属性でないことを肝に銘じなければなりません。

現役時代に運よく手に入れた地位が高ければ高いほど、「ただの人」になった後の不幸は多くなります。

過去の肩書(プライド)の捨て方です。

①肩書以外の自己肯定感を持つ

②現役時代からヨコの人間関係に身を置く

③役職定年を定年後に向けた準備期間と捉える