ながら江雪の人生ノート

現役サラリーマンと定年シニアのお悩み解決

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大企業の50代が会社を辞めたくなった時の対処法を経験者が解説

「俺もとうとう出世競争から脱落か」

「このままでは、いずれ役職定年が待っている」

「サラリーマンの最終章は平社員か😞」

「いっそ今のうちに、自分のやりたい仕事に転職しようか?」

こんなお悩み解決します。

■この記事を読んで頂きたい人■
・会社を辞めたい大企業の50代サラリーマン
 
 
■この記事でわかること■
①50代の転職はやめた方がよい理由

②転職しないで対処する方法~「静かな退職」とは?

③「静かな退職」を有意義なものにするには?

 

大企業の不条理に嫌気がさしたものの50代では辞めなかった筆者が、大企業の50代が会社を辞めたくなった時の対処法について解説します。

<自己紹介>

筆者本人(1960年生 2023.11撮影)
筋トレ歴16年 ボクシング歴10年

<筆者略歴>
1984年 東京大学工学部建築学科卒業後、ゼネコンに入社
1988年 インフラ企業に転職
2018年 子会社の不動産会社に転籍
2023年 退職

 

      

 目次

50代の転職はやめた方がよい理由

詳細は、50代転職は厳しい理由|転職は絶対やめた方がよい人と可能性がある人に書いた通りですが、要点を以下に示します。

50代の転職市場は、以下の3つの理由により大変厳しい状況です。

①50代のサラリーマンはどこの会社でも余っている

②定年まで残り少ない人をわざわざ採用しない

③従って転職エージェントから相手にされない

そして、50代転職は絶対やめた方がよい人です。

大企業のサラリーマン、特に転職経験が無い人

50代の大企業サラリーマンが絶対転職しない方がよい理由は、以下の3点を過大評価し50代転職市場を甘く見ているからです。

①自分の市場価値

②自分の大企業での業績

③自分の大企業でのキャリア

50代の転職は案件が少ないため内定を取るまでかなりの時間と労力を要しますし、仮に内定をもらっても、年収は半分でこれまで以上につらい仕事になるのが関の山です。

50代で転職を希望通り成功させるためには、日本の恵まれた大企業では身に付かない希少性のあるキャリア×スキルがある人に限られます。

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転職しないで対処する方法~「静かな退職」とは?

「静かな退職」とは以下の3つの特徴を持つ働き方です。

①昇格(出世)を目指さない

②言われたこと以上の仕事はしない(言われたことはしっかりやる)

③実際に退職する気はない

「静かな退職」は、定年退職直前の社員のように余裕をもった精神状態で働くことを意味し、昭和のモーレツ社員*1とは正反対の社員です。

詳しくは、「静かな退職」が大企業に広がるのは当然である4つの理由とは?をご覧ください。 

「静かな退職」を有意義なものにするには?

「静かな退職」を有意義なものにする方法とは、定年後に向けた準備を行うことです。

50代から第二の人生に向けて少しずつ準備すべきもの5選です。

1)健康寿命を延ばす運動習慣

2)無駄遣いしないライフスタイル

3)将来まとまった支出が必要ない住居

4)暇つぶしになる日課

5)ヨコの人間関係に必要なコミュニケーション能力

筆者は、サラリーマンとして先が見えた40代後半から「静かな退職」を選択しました。

そして、会社への滅私奉公から自分への投資に完全に頭を切り替え、定年後に向けた準備を少しずつ始めました。

定年後に必要なものは、「健康」「お金」「生きがい」です。

準備なしに定年後の生活を始めることは、社会からの疎外感、孤独や精神的な不安を感じるリスクを伴います。

詳しくは、定年退職までの過ごし方|50代から始める第二の人生に向けた準備5選をご覧ください。

この準備がうまく行けば、出世競争に最後まで残るより幸せな定年後が迎えられます。

詳しくは、現役時代の「負け組」が定年後に「勝ち組」になる秘訣を経験者が解説をご覧ください。

まとめ

リスクの大きな50代での転職は、おすすめできません。

大企業のサラリーマンは恵まれているので、役職定年で年収が減っても、せいぜい世間一般レベルになるだけです。

50代で危ない橋を渡ることなく、「静かな退職」を選択して、定年後に目を向けることをおすすめします。

経験したことの無い定年後の生活には、しっかり準備して臨みましょう。

そして準備が早く済めば、不条理な会社とは早めにオサラバしましょう。

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*1:「モーレツ社員」は、昭和時代に使われた言葉で、猛烈に仕事に打ち込むサラリーマンを指します。これは、家庭や私生活を犠牲にして会社に人生を捧げる姿勢を形容した言葉です。高度経済成長期の日本では、なりふり構わず会社のために尽力する社員の姿を表現した言葉として使われました。