「仕事で成果出しても上司の評価しだいでどうなるか分からない」
「上司への忖度なんてうんざりだ」
「肩書意外に自己肯定感を満たすものが欲しい」
こんなお悩み解決します。
②自己肯定感は肩書より鍛えた肉体がよい3つの理由
47歳から筋トレを始め、会社勤めと筋トレの両立経験16年の筆者が、自己肯定感は肩書より鍛えた肉体がよい3つの理由について解説します。
<自己紹介>
筆者本人(1960年生)
筋トレ歴16年 ボクシング歴10
<筆者略歴>
1984年 東京大学工学部建築学科卒業後、ゼネコンに入社
1988年 インフラ企業に転職
2018年 子会社の不動産会社に転籍
2023年 退職
目次
自己肯定感の本当の意味とは?
自己肯定感の定義をウィキペディアから引用します。
自己肯定感とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉である。
引用文中にある「自らの在り方」とは、言い方をかえますと「ありのままの自分」ということです。
ですから自己肯定感は「たとえ人に評価されなくても、ありのままの自分を積極的に評価できる感情」ということになります。
しかし、現実問題として、そんなきれいごとが可能でしょうか?
敬虔な宗教家の中には、ひょっとしたらそんな人もいるかもしれませんが、一般人でそんなに悟れた人は絶対いません。
「たとえ人に評価されなくても、ありのままの自分を積極的に評価できる感情」なんて持てないので、多くの人が承認欲求に苦しみ、生きづらさを感じている訳です。
自己肯定感を得るには、「ありのままの自分」ではなく「承認される自分」が必要です。
自己肯定感は肩書より鍛えた肉体がよい3つの理由
①鍛えた肉体は他人の評価と関係なく自力で得ることが可能
会社員の自己肯定感は、評価されて少しでも良い肩書を獲得することで得るのが普通です。
しかし、居心地追求組織「共同体」である日本企業では、業績が適正に評価され、それに見合った適正な肩書を得る保証はありません。
日本企業の業績評価は、情意評価が普通です。
情意評価とは、「がんばり」など勤務態度から受ける印象で上司が主観的に評価する手法です。
従ってこの評価手法は、上司への忠誠心や忖度が決め手になってしまします。
要するに、肩書で得られる自己肯定感は、全くの他者依存でしかも他者の奴隷になる対価として得られるものなのです。
一方、筋トレで鍛えた肉体によって得られる自己肯定感は、他者依存ではなく、すべて自力です。
他者の不条理な考えや行動に左右されることはありません。
参考:【大企業の不条理】業績が適正に評価されない2つの理由と2つの対処法
②肉体の優劣は一目瞭然


1)説明が要らない
居心地追求組織「共同体」(=日本の企業)で肩書を得るためには、自分は他の人より空気が読めて忖度もできることを分かってもらわなければなりません。
いわゆる社内営業が必要です。
同じようなライバルも多いので大変です。
慢性的なストレスで抗ストレスホルモン「コルチゾール」も垂れ流し状態です。
一方、鍛えた肉体は、スーツの上からもわかり、部下から尊敬されます。
忖度上手は上司から気に入られますが、部下からはバカにされます。
2)「酸っぱいブドウの機制」で価値を切り下げられることがない
「酸っぱいブドウの機制」とは自分のプライドを守るために、他者の価値を屁理屈で切り下げることです。
以下を参照してください。
狐が己が取れなかった後に、狙っていた葡萄を酸っぱくて美味しくないモノに決まっていると自己正当化した物語が転じて、酸っぱい葡萄(sour grape)は自己の能力の低さを正当化や擁護するために、対象を貶めたり、価値の無いものだと主張する負け惜しみを意味するようになった。
鍛え抜いた肉体は、どう屁理屈をこねても肥満体の醜い肉体より価値を切り下げることはできません。
③鍛えた肉体はフィクションではなく実体
肩書はタテ社会の産物であり、居心地追求組織「共同体」(=日本の企業)でのみ通用します。
定年後、地域のコミュニティなどヨコ社会に入れば、通用しないどころか嫌われる要因にもなりかねません。
要するに、肩書は場所と期間が限定されたフィクションなんです。
肩書はフィクションですが、肉体は実体です。
まとめ
✔自己肯定感とは「ありのままの自分」を受け入れる感情ではなく、「自分が承認できる自分(自己承認可能な自分)」を受け入れる感情です。
✔会社員の自己肯定感は肩書より鍛えた肉体で得るのがよい3つの理由です。
①鍛えた肉体は他人の評価と関係なく自力で得ることが可能
②肉体の優劣は一目瞭然
③鍛えた肉体はフィクションではなく実体
参考:【会社員の筋トレ】経験者が無理なく続けられるメニューと頻度を解説