ながら江雪の人生ノート

サラリーマン人生の送り方や定年の迎え方をご紹介します

【人事評価の不条理】なぜ業績が評価されないのか?【対処法も解説】

「どう考えても俺の方が業績あげてるのに、何であいつがあのポストにつくんだ?」

「子会社が汗かいた案件なのに、あいつの手柄になっちゃった。幹部に説明しただけなのになぁ😞」

「大した業績あげてないのに、なんであいつ花形ポストばかりなんだ?」

 

こんな疑問とお悩み解決します。

 

■この記事を読んで頂きたい人■
大企業にお勤めの中堅社員の方で、自分の人事評価(処遇)が不満な方

 

■この記事でわかること■
①不条理な人事評価の要因「選別主義」の実像

②根源的な要因「酸っぱいブドウの機制」とは?

③評価されないと分かったら、切換えてやるべきこと3つ

 

今年(2023年)40年間のサラリーマン人生を終え定年退職した筆者が、人事評価の不条理について解説します。

<自己紹介>

筆者本人(2023.11撮影)
筋トレ歴16年 増量期と減量期は設けていません
ボクシング歴10年
<筆者略歴>
1984年 東京大学工学部建築学科卒業後、ゼネコンに入社
1988年 インフラ企業に転職
2018年 子会社の不動産会社に転籍
2023年 退職

        

 目次

組織の要因「選別主義」の実像

①そもそも業績では昇進できない

先ず、河合薫著「他人をバカにしたがる男たち」から引用します。

昇進と業務実績との関連を”統計的な手法”で分析した論文のほとんどで、「業務実績のよさと」と「昇進」との間には統計的に有意な関連は認められません。

つまり、「業務実績が高い⇒昇進」というわけではないのです。

では何が関連しているのか?

「学歴」「採用時に自分が〇をつけたか否か」「入社時の評価」「性別」です。

採用時に自分が〇をつけた人を昇進させる・・・・、なんとも人間臭い理由で昇進は決まるのです。

次に、太田肇著「選別主義を超えて」から引用します。

(前略)評価者の情実や利害、それに選ぶ側の政策的な意図など、不条理な要素が入るのを防ぎがたいということがあげられる。

たとえば、選ぶ側が自分と同じような境遇をたどってきた者に対して甘い評価をしたり、学閥を形成するために同窓生を優先的に採用したりするかもしれない。

(注)引用文中の赤字変換は筆者による

頑張れば多少評価はされるが、業績に相応しい昇進(出世)はできません。

これが「選別主義」の実像です。

出世は最初の段階で、偶然決まるのです。 

選別したエリートが不祥事を起こすなど、ダメな理由が客観的な場合以外は、成果をでっち上げ幹部に育て上げます。

なぜ成果をでっち上げてまで選抜したエリートを守る必要があるのか?

それは後ほど述べますが、選んだ側の権威性(権力)を守るためです。

「やっぱり間違っていました」の連発では権力を維持できません。

「選別」とはまったく恣意的(いいかげん)なものであり、「運」しだいといって過言ではないのです。

こぼれ話

「採用時に自分が〇をつけたか否か」これは、「一貫性の原理」のせいです。

根底に「一貫性を保つことは社会生活において他者から高い評価を受けるという考え」があります。

引用記事:一貫性の原理 - Wikipedia

引用文献:河合薫著「他人をバカにしたがる男たち」

②アタリがでない選別方式

何ら実績も出ていない入社間もない段階で、選別することに無理があることは明らかです。

実際に、参考記事にあるように美少女コンテストでグランプリをとった人より取れなかった人の方が、その後活躍していることが分かっています。

参考記事:じつはグランプリ以外が活躍 国民的美少女、誰が突き抜けるのかわからない

③アタリが出ないのに、なぜ選別するのか?

なぜか我々は人間は、優れた人材を評価し選抜することは当然だと思っています。

さらに、組織の論理に関係する根の深い理由があります。

太田肇著「選別主義を超えて」から引用します。

組織もまた、選別権を保持することによって権威を示し、人々をひきつけメンバーの忠誠心を引き出そうとする。

言い換えれば、選別権を手放すことは自らの弱体化につながりかねないのである。

この手の組織の論理は、「成長」より「存続」が優先される組織体によくみられます。

「存続」が優先される組織体とは、その組織が提供するサービスが生活に直結していて、世の中からなくなったら困る企業。

例えば、インフラ系の企業や、官庁、教育界、医療界です。

こういった組織は競争する必要がないため、意識が外より内に向かい、共同体(ムラ社会)化する傾向が強く、世間とは全く違う独自の規範がつくられます。

その規範の骨格が、引用文にある「選別権を保持することによって権威を示し、人々をひきつけメンバーの忠誠心を引き出そうとする」ことなのです。

この対極は、「発展・成長」が命であるベンチャー企業などがそうです。

「存続」が優先される企業の経営者は、ベンチャー企業と違って、創造力より管理能力が優先されます。

管理能力は創造力と異なり、一定の能力があれば、だれでも身につけることができます。

したがって、「存続」が優先される企業では、選別したエリートがあまりハズレることがない反面、「だれが社長になっても売上・利益は変わらない」とも言えます。

「存続」が優先される企業の経営者の大半は、経営者という名の管理者です。

引用文献:太田肇著「選別主義を超えて」

■関連記事■

根源的な要因「酸っぱいブドウの機制」

人間の根源的な要因として、「自分より能力が上の者しか、自分を正当に評価できない」ということがあります。

上司が自分より能力が低いことは、「選別主義」が日本企業にはびこっていることもあり、よくあることです。

能力が低い上司は、何でも言うことを聞く、迷惑がかからない範囲で無能な部下をかわいがります。

理由は「酸っぱいブドウの機制」です。

以下を参照してください。

狐が己が取れなかった後に、狙っていた葡萄を酸っぱくて美味しくないモノに決まっていると自己正当化した物語が転じて、酸っぱい葡萄(sour grape)は自己の能力の低さを正当化や擁護するために、対象を貶めたり、価値の無いものだと主張する負け惜しみを意味するようになった。

(注)引用文中の赤字変換は筆者による

引用元:すっぱい葡萄 - Wikipedia

 

 

 

評価されないと分かったら

①「絶望」とは心の完全切り替え

駅でプラットフォームを間違えたり、バス停を間違えたとき、いつまでもそこで待っていますか?

評価されないと分かったら、「絶望」して次に進みましょう。

望みを絶つ(絶望)とは、そう言うことです。

新しい行動を起こすチャンスです。

以下、泉谷閑示著「「普通がいい」という病」から引用します。

つまり、本当に「絶望」した時、人は「執着」を去り、「自由」になるのです。

それはもはや、そこで当てにして待たなくてもよい「自由」です。

そして本当に必要な行動を、主体的に自分が行っていけるのです。

(注)引用文中の赤字変換は筆者による

引用文献:泉谷閑示著「「普通がいい」という病」

②「絶望」したら定年に向けて3つのことに執りかかろう

やっても、やらなくても評価が同じなら、仕事は降格しない程度でそこそこにして、定年退職後に向けて少しづつ準備を始めましょう。

初めから勝負がついている競争(出世競争)なんてバカバカしいと思いませんか?

定年に向けて執りかかるべき3つは次の通りです。

詳しくは筆者の過去記事をお読みください。

①仕事より自分への投資(健康と趣味)

少なくても定年10年前からは、

②タテ(上下)の関係よりヨコの関係に慣れる

脱・消費脳と住宅関連整備

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まとめ

不条理な人事評価の原因は次の2つです。

①選別主義

②酸っぱいブドウの機制

評価されないと分かったら、切換えてやるべきことは3つです。

①仕事より自分への投資(健康と趣味)

少なくても定年10年前からは、

②タテ(上下)の関係よりヨコの関係に慣れる

脱・消費脳と住宅関連整備

「絶望」したら、出世競争の呪縛から解放され、会社のためではなく自分のために生きましょう。

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