【とある大企業の課長の悩み】
「判断を早くして、部下にムダな検討はできるだけさせない」
「役員会議に通している案件の数、俺の課が圧倒的に多いけど、月当たりの残業時間一人平均ずっと一桁(他の課は30~40時間)」
「しかも担当部下はたった2人」
「他の課に比べ圧倒的にムダの無い効率的な仕事ぶりだが、ボーナス査定は他の課より多少いいだけで、そんなに変わらない」
「どうしてだ?」
こんなお悩み解決します。
②優秀でも日本の大企業では評価されない管理職とは?
③優秀でも評価されない理由
④優秀でも評価されない人がとるべき2つの選択肢
今年(2023年)40年間の大企業でのサラリーマン人生を終え退職した筆者が、「優秀でも日本の大企業では評価されない管理職」について解説します。
<自己紹介>
筆者本人(2023.11撮影)
筋トレ歴16年 増量期と減量期は設けていません
ボクシング歴10年
<筆者略歴>
1984年 東京大学工学部建築学科卒業後、ゼネコンに入社
1988年 インフラ企業に転職
2018年 子会社の不動産会社に転籍
2023年 退職
目次
大企業は「機能体」ではなく「共同体」
①日本の大企業の特徴
限定された市場を独占していたり、競争力が突出した優良な経営資源により経営が安定している
経営に余裕があり、その多くが潜在的余剰人員を多く抱えることができる、ゆるい「ホワイト企業」です。
②「機能体」と「共同体」の違い
「機能体」と「共同体」の違いを、堺屋太一著「組織の盛衰」を参考にして表にまとめました。
日本の大企業は、「機能体」ではなく「共同体」です。
優秀でも評価されない管理職の特徴と理由
①優秀でも評価されない管理職の特徴
7つの特徴にまとめました。
1)部下のマイクロマネジメントはせず、情報提供と業務支援に徹し、仕事は部下に任せる
2)場合によってはプレイングマネジャーとして部下を助け、少人数のスタッフで効率的に仕事をこなす
3)決断が早く腹がすわっているので、ムダな会議で責任分散しない
4)商談では自分で判断ができ、後で幹部を説得する力があるため、取引先からの信頼が厚い
5)幹部への気遣いは社会人として当たり前の範囲内に止め、忖度はしない
6)幹部とも部下とも飲みニュケーションは必要最小限(社内営業はしない)
7)仕事より家庭を大切にし、仕事が終わればサッサと帰る
②評価されない理由
「機能体」と「日本の大企業=共同体」の違いを「個人の仕事と評価」という切り口で比較ししました。
評価されない理由は、ズバリ、「機能体」型の優秀さでは、「日本の大企業=共同体」で評価されないからです。
経営に余裕のある日本の大企業は「共同体」であり、優秀で効率的に仕事ができる管理職より、忖度上手で空気が読める管理職が評価されます。
たとえば、ムダな仕事を無くし残業時間を減らしても、「それでは部下が育たない」という屁理屈で、効率的な仕事の価値が切り下げられてしまいます。
「機能体」に適合した優秀な管理職は「共同体」では目障りになり、評価されるどころか嫌われます。
優秀でも評価されない人がとるべき2つの選択肢
選択肢1
評価されなければ「承認欲求の呪縛」に苦しむ必要はありません。
評価されようがされまいが関係なく、自分の規範に基づいてサラリーマン人生を送る。
ムダで意味のない仕事をしない、させない精神で潔く生きる。
すなわち、忖度と空気を読むことにエネルギーを使い、権力に従順に従う自己家畜化した人たちとは一線を画した人生を歩む。
選択肢2
テレビ番組の「カンブリア宮殿」や「ガイヤの夜明け」に紹介されるようなベンチャー的経営の企業では、同志社大学教授太田肇氏が「自営型」と呼ぶ働き方があります。
「自営型」という働き方は、雇用かフリーランスか、言い換えれば組織に属しているか否かにかかわらず、半ば自営業のようにある程度まとまった仕事を一人でこなす働き方です。
せっかくの人生、こういった働き方に思い切ってチャレンジするのもありです。
まとめ
他の先進国に比べて、日本の急激な凋落ぶりや相変わらずの非効率な仕事ぶりの根本原因は、日本の企業、特に大企業が「共同体」だからです。
一方で、深刻な人手不足と大企業の搾取構造からの脱却を目指して、心ある中小企業は「自営型」など新しい働き方を模索しつつあります。
また、これまで組織で成り立っていたシステムが、ITによる社会の新しいシステムに取って代わられています。
つまり、個人でも組織と対等に戦える時代になったのです。
組織が個人を、価値一元的な評価システムで評価し、それによって地位や賃金が決まるのではなく、市場に対する個人の適応力の度合いによって個人の評価や収入が決まる時代になりつつあります。
これまで組織により不当に冷遇されてきた人たちも、実力にふさわしい報酬と地位を得られる可能性が高くなりつつあります。
死を目前にした人が挙げる後悔
人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに数年携わり、たくさんの人を看取ったオーストラリアのブロニー・ウエアさんは、死を間近に控えた人々が口にした後悔の中で多かった5つの事例を挙げています。
1.他人が自分に期待する人生ではなく、自分自身に正直な人生を生きる勇気があればよかった
2.あれほど働かなければよかった
3.自分の気持ちを率直に表現するだけの勇気があればよかった
4.もっと友達づきあいをしておくべきだった
5.もっと幸せな人生を送ればよかった
引用文献:河合薫著「他人をバカにしたがる男たち」
日本人より自己家畜化されていないオーストラリア人ですらこうですから、権力や組織に従順な日本人の後悔は「阿鼻叫喚(あびきょうかん)」と言ったところでしょうか。