日本経済は、バブルが崩壊したのち、その原因や責任を問われぬまま自民党がほとんどの期間政権を握り、「失われた30年」が過ぎました。
近年の日本の国際競争力の急激な凋落ぶりは目に余るものがあります。
また、日本の労働生産性は低下する一方であり、加えて少子高齢化が顕著になってきています。
さらには、長引くコロナ禍において、これまで当たり前だったことが当たり前でなくなり、資本主義のひずみである格差社会が顕在化しました。
このような中、今、再び19世紀ドイツの思想家カール・マルクスの著書が多くの人たちに読まれ始めています。
中でも、私たちがどっぷりつかって生活している「全てを商品化していく経済システム=資本主義」の矛盾を明らかにしてくれる『資本論』が注目を集めています。
この記事では、その『資本論』が明らかにしてくれた矛盾を参考に、賢いお金の使い方について解説します。
②上記を踏まえた定年後の為の賢いお金の使い方3つ
<自己紹介>
筆者本人(1960年生 2023.11撮影)
筋トレ歴16年 ボクシング歴10年
<筆者略歴>
1984年 東京大学工学部建築学科卒業後、ゼネコンに入社
1988年 インフラ企業に転職
2018年 子会社の不動産会社に転籍
2023年 退職
<資格>
一級建築士(管理建築士)
目次
資本論について
カール・マルクスの『資本論』は、ダーウィンの『種の起源』と並んで有名だけど読んだことがある人は極めて少ない本の一つです。
岩波文庫の『資本論』ですと全部で九冊ありますが、この難解な本を読破した人はこの世に何人いるんでしょうか?
そういう筆者も『資本論(一)』と『資本論(二)』でギブアップしました。
ただ一般教養としては、『資本論(一)』だけで充分です。
貨幣・商品・価格について
①貨幣とは?
キャッシュレス時代である現代の貨幣は、遥か昔の物々交換の残り香もなくなり、完全な「観念」、すなわちインターネットバンキングで確認できるスマホ画面上の単なる「数字」になりました。
さらには仮想通貨(暗号資産)なるものまで発明され、その観念的特質はますます顕著になりつつあります。
貨幣の歴史は、物々交換から発展した商品貨幣*1に始まり、金貨や銀貨を経て紙幣になり、現在に至っています。
カール・マルクスの「資本論(一)」や「経済学批判」を読むと、貨幣が金貨(純金)だったころの「金貨目減り論争」が大変興味深く感じられます。
「金貨目減り論争」の論点は、次の通りです。
「純金の金貨は柔らかいので簡単に摩耗するため、使い古された金貨は重量が減ってしまって価値が減じているのに、貨幣としての交換価値が変わらないのは何故?」
その後、紆余曲折をへて、貨幣とは交換価値(商品と交換できる権利)という単に頭の中にある観念であり、数字に換算されたものだと経験的に気付くまでずいぶん時間がかかりました。
前置きが長くなりましたが、「貨幣とは、あくまでも人間の社会的な関係性から生じた観念」であり「実体と交換しなければ単なる数字」です。
もっと分かりやすく言うと、「おカネは使わなければ単なる数字」なのです。
これを聞いて納得できない人は、感覚が未だ商品貨幣時代の人で、貨幣自体に何か使用価値があると勘違いしている人です。
紙幣もそれ自体は単なる紙です。
例えば、未開の地で人食い人種につかまって札束渡しても命は助かりません。
「肩書」も観念です
「肩書」も、会社という狭い社会の関係性から生じた観念であるにもかかわらず、たまたま運よくその「肩書」を手に入れた人物がもつ自然属性であるかのように振舞いはじめます。
例えば、未開の地で人食い人種につかまって「俺は社長だ!」と叫んでも当然、命は助かりません。
②商品とは?
「資本論(一)、第一篇 商品と貨幣」冒頭の有名な一節です。
資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。
おそらくこれを読んでも、「当たり前だろ、それがどうしたんだ?」と何も気づかない人がほとんどでしょう。
それくらい資本主義というイデオロギーに毒されているのが現代社会です。
キーワードは「富」です。
資本主義という社会システムのなかでは、貨幣と交換しないと得られない商品だけが「富」だと思われているのです。
でも実は「富」は、貨幣と交換しないと得られない商品以外にも自然界の中にはいくらでもころがっています。
清流・長良川でSUPを楽しむ筆者
例えば、筆者にとって長良川は、商品ではない「富」です。
現代人の多くは、お金を使って消費(浪費)しないと「富」を得られないと思い込む「消費脳」の持ち主です。
資本主義による社会システム(消費社会)に洗脳された大多数の大衆は、タダで近くの山をハイキングするより、テーマパークでいっぱいお金を使うことが幸せと感じるのです。
商品とは、「富」を得るための選択肢の一つに過ぎません。
しかも、残念ながら商品には飽きやすいという残念な特性が備わっています。
③価格とは?
商品の価格(交換価値)は、その商品が持つ本来の使用価値とは一致しません。
本来の使用価値を離れて、お値段以上にもお値段以下にもなります。
その原因は、当然需給関係もありますが、それ以上に大きいのが「物神崇拝(フェティシズム)」によるものです。
分かりやすい例がブランドです。
シンボリック・アニマル(象徴を操る動物)*2であるヒトは、商品の使用価値だけを純粋に見ることはなく、商品のブランドを意味を持つシンボルとして捉えてしまいます。
ヒトは単なる観念でしかないブランドを、もともと備わっていた自然物のように捉えはじめ(物象化)、やがてそれは、ただの石にすぎないような物に呪力や神的力を感じるかのごとく「物神崇拝(フェティシズム)」にいたり、大金をはたきます。
高級ブランドの高級車を悦に入って乗っても、他人は関心ありません。
自己満足だけの全く無駄なお金の使い方です。
定年後の為の賢いお金の使い方3つ
①老後の生活の豊かさにつながるものには積極的にお金を使う
お金は貯め込み過ぎても、歳をとればとるほど使えなくなっていきます。
お金はという観念(銀行口座の数字)を実体(商品やサービス)に変えないと意味がありません。
そして、老後の生活を豊かにしてくれるものにはケチらずお金を使うのが賢いお金の使い方です。
老後の生活を豊かにしてくれるものとは、以下が考えられます。
①運動習慣で健康寿命を延ばすための支出
例:スポーツクラブ、各種スポーツ教室・パーソナルレッスン、会員制パーソナルトレーニングなど
②趣味を広げて退屈地獄に陥らないための支出
例:各種カルチャー教室(絵画、陶芸、楽器演奏、社交ダンスなど)
③体に優しい住環境を得るための支出
通帳の「数字」が増えるのを喜んでいるのではなく、お金から早く価値を引き出すことが大切です。
②消費脳を脱して商品ではない「富」にも目を向ける
資本主義の社会システムにより何でもかんでも商品になってしまったように感じますが、実はまだまだ商品になってない「富」はいくらでもあります。
筆者が楽しんでいる商品ではない「富」の例です。
・地域の卓球サークル(会費500円/月 週一回、2時間/回)
お金を使えばほとんどのものは手に入りますが、あまり感動を伴いません。
お金持ちの豪邸を見ても「感心」はしますが、「感動」しないのと同じです。
商品ではない「富」には、なにかプライスレスな経験が伴います。
商品だけに頼らない経験を得るための支出も賢いお金の使い方です。
③ブランドに騙されず使用価値の良し悪しを見極める
ブランドに惑わされることなく、商品の使用価値を冷静に見極めることも賢いお金の使い方につながります。
一例をご紹介します。
ブランド力のある大手ハウスメーカーの注文住宅とスーパー工務店の注文住宅の比較です。
下図はハウスメーカーとスーパー工務店の原価比較(イメージ)です。
ハウスメーカは多額の広告宣伝費や本社費*3を、規格化と大量生産でコストを抑えた構造材や建材、プレハブ工法*4による労務費削減でまかなっています。
当然、ハウスメーカーは材料原価が高く職人の労務費がかかる自然素材(漆喰や無垢の木など)は使えませんので、施工が簡単で原価の安い石油化学製品の建材(ビニールクロスなど)を多用します。
一方、規模が小さく効率経営のスーパー工務店では、工事原価に占める広告宣伝費や本社費の比率は僅かなものです。
その分自然素材をふくめ品質の良い建物をつくることが可能となる訳です。
結果的には、注文住宅ハウスメーカーとの工事単価は同等になります。
有名なハウスメーカーで家を建てて悦に入るのは、全く馬鹿げたお金の使い方です。
ブランドと建材などの品質の良し悪しとは、何の関係もありません。
むしろ有名なハウスメーカーの石油化学製品をメインとした建材は、建築基準法をクリアしていても基準値未満というだけで有害物質は0ではありません。
当然シックハウス症候群のリスクはあります。
ビニールクロス(左)と漆喰壁、無垢オークフローリング、大谷石の床(右、筆者自邸)
まとめ
✔貨幣は使わなければ単なる数字(観念)です。
✔商品とは、「富」を得るための選択肢の一つに過ぎません。
✔価格(交換価値)もブランドのように社会的な関係性が生んだ観念です。
以上を踏まえた、定年後の為の賢いお金の使い方です。